【「日本人」というステレオタイプと決別するために】マリアンヌ2誌全訳3月29日付


http://m.marianne2.fr/Pour-en-finir-avec-les-cliches-sur-%C2%A0le-peuple-japonais_a204440.html

イヴァン・トゥルッセル – マリアンヌ2| 2011年3月29日
[※出典メディアのマリアンヌ2ラ・トリビュンヌと誤記していたので訂正しました (2011.04.03 13:40) @kazouille様のご指摘に感謝します]

外部から見た日本の震災発生時の対応は日本国民のステレオタイプ的な解説を多く生んだ。それは完璧な無私無欲さだったり、政府によって無知の状態に保たれている姿だったりするが、いずれの場合においても日本人像は画一的に描かれ、より現実的な説明は抜け落ちている。この記事ではイヴァン・トゥルッセルが地震以来多く作られてきた日本人像からはほど遠い日本社会のもう一つの姿を描画する。

日本列島の中でも直接被災をしなかった地域の住民たちは、まだ震災による被害が収まらない中での原発事故の、時に過度に悲劇的でセンセーショナルな海外メディアの報道の仕方を評価したとは言い難い。彼らは、世界でも最も自然災害に良く備えている国民であるにも関わらず、このような事故に対応するノウハウに対してあまりにも信頼がされていないことを不快に思った。また、真の危険について完全な隠蔽を行う政府の操り人形というレッテルを貼られることも快く思っていない。多くの人は同じような状況、たとえばパリから300キロメートルの距離(例えばラ・アーグの燃料再処理工場)で原発事故が起こったとしても、在仏日本人は(在日フランス人がそうしたように)「カモメの群れ」のように逃げ出さなかっただろうと考えている。もちろん、「危険回避の規則」(principe de précaution)という言葉はなかなか日本語に翻訳しづらいことも事実だが。。

歴史的な地震と津波

東北の大地震の後に、ここ数週間の間、私たちは日本国民が困難にくじけず勇敢に立ち向かい、そして団結する力を持っているという話を聞いてきた。時には神話的な語り口で、禅の思想に武士道の精神がまぶされたようなストイックさ、自己犠牲を辞さず英雄的な抵抗を誇る侍の規範が日本国民の姿に重ねられた。その対極として、日本人が、福島原発に関する本当に透明な情報が発表されれば必ずパニックになるだろうという絶望的な打算のもとに政府や権威によって無知の状態に閉じ込められている、とする高慢な説明もあった。この延長線上には、未来の若者たちが国家の団結、経済成長もしくは愛国的な誇りという名の下で知らない間に被曝し、犠牲になっているという話すら出回った。こうした言説のあいだで、日本人があまり民主的に扱われていないとするイメージに対抗するような被災者の証言や逸話が存在している。だとすれば素晴らしいことだ。アラブ人たちの抵抗によって立ち上った一陣の風は、日本の放射線を吹き飛ばすに至るのだろうか?

よくあるように、現実は見た目よりもずっと複雑だ

東北大地震の揺れを体感した人々は一生で一番怖い思いをしただろう。1995年の阪神大震災に比べても、精神的なショックはずっと大きい。神戸は廃墟となったが、近隣の大阪は無傷だった。阪神大震災や2004年の新潟沖大地震は、毎年9月1日に行われ、老若男女が参加する防災訓練で想定される規模の災害を引き起こした。なによりもこれらの地震は少なからず住民たちが心の準備をしておける規模のものであり、1923年に関東を襲い、その再来が予見されている(東海)大地震に比べれば比較的小さい規模のものだっただろう。

しかし日本では誰も2011年3月11日の、内陸に数キロメートルも浸食した巨大な津波がもたらした被害を予想することはできなかった。私たち(フランス人)はこうした破壊的な減少や福島原発の放射線汚染に対する一見した冷静さの背景として、私たちよりも遥かに禅でエキゾチックな伝統、社会、哲学から生まれた自制心があるに違いないと想像しがちである。しかし現実は日本の国民も恐怖を味わい、いまも恐怖しつづけているのであり、決して盲信しているわけではない政府機関の説明に安心していないのだ。それでも日本人がパニックに陥らない理由は単純だ。彼らは十分に理性的に生活を続けられると自ら状況を分析した上で判断しているのであり、政府がメディアに流す意見に導かれているわけではない。

どうしてそうなのか背景を理解しよう

そして一見画一的に行動しているように見える日本国民が決してそうではないと先に断っておこう。また彼らの中でも多様な意見が存在している。この多様性の発現は江戸時代に遡る。徳川幕府の統治のもと、社会は士・農・工・商の4つの社会階級に分けられていた。旅行は規制され、人間の移動は減少し、これらの階級のそれぞれが独自の規範や優先事項、そして思想を持っていた。その他にも同胞や権威には何も期待することもできない共同体も存在していた。芸能や違法取引の異形の民、不可触民(訳者注:穢多・非人)の世界である。

江戸時代には芸術文化と風俗は徳川幕府の武力統治によって制定された厳格な法によって規制されていたが、時として一定の違法行為には目をつむり、倹約令の抜け穴をもうけたり、(訳者注:吉原遊郭のような)自由を謳歌する領域の規制を緩めたりした。こうした緩和の動きは階級に分割された社会の構造を固定するための保安上の役割を果たしていた。国民たちはその結果、権威(お上)には何も期待せず、自分たちの手段に頼る慣習を持つようになった。

1868年に明治の時代の幕開けとなった皇位の復古(明治維新)は、日本の最初の憲法の制定を生み、公式には、不可触民に対するものも含むあらゆる差別に終止符を打つ「平等」概念に基づく最初の法律を多く生んだ。しかし、士農工商は廃止されたが、不可触民が存在しなくなるまでには至らなかった。古い慣習はそう簡単には消滅しない。「部落民」(部落に住む人々の意)や「非人」(人間ではない存在の意)といった言葉は、そうした「人間以下」の人々の状況が改善していないために、今日でもあまり大声では叫べない悪口として存在している。こうした被差別階級に北海道のアイヌ人、沖縄の住民、そして中国人や韓国人の子孫たちも含まれる。

それに加えて今日の日本では、都市生活者と地方生活者、いわゆるサラリーマンと農家や漁師の間に分裂がある。とにかく日本が単一国家であるというイメージは幻想に過ぎない。集団行動を好むという頻繁に参照されるイメージも(メディアによって)商品化されたものに過ぎず、日本国民は2世紀前から既に権威に何も期待してこなかった。多くの日本人は政府の警告を待たずに福島周辺から避難したり、可能な場合は家族を安全な西日本に送ったりしている。現実には、西洋人の一般的な偏見からすれば逆説的にも、日本の学校で教わる思考様式はむしろ個人主義を育てている。フランスで長い間古典的な教育として採用されてきた「テーゼ」「アンチテーゼ」「サンテーズ」(訳者注:反対しあう単純な意見を全て出し、その上でより複雑な因果関係を導く思考法。弁証法。)の三部に分けて作文を行う方法は日本では教えられていない。

だから日本人は複雑な結論に耳を傾け、異なる意見の中から自分に適合するものを選択するという型にはめられていない。フランス人が際限なく行う議論は、フランス語圏の日本人には面白おかしく映る。日本では客観性に基づく情報が重用視される。日本のメディアが情報を伝達するやり方そのものが意見が多様であることを示している。日本の日刊紙の記事やテレビのニュースは完全であることを求めず、複数あるなかの一つの視点を提案する。主題が重要なものである場合、一人か複数の専門家が視点を闘わせる。しかし日本では教義的な物言いや決定的な意見は嫌われる。あくまで生のデータそのもの、情報のみが扱われ、新聞や雑誌記事は読者のそれぞれが読め、分析できる数字やグラフ、曲線でにぎわっている。この数字が尊敬を集める国では幼い頃からそろばんの塾に子供達を通わせている。

常に形成途中にある意見

意見の形成はあくまで読者もしくは視聴者に委ねられている。メディアは断定するために存在しているわけではなく、誰でも刻一刻と変化するデータによって様々な意見が生まれ、鍛えられることを知っている。そして結局のところ、新聞紙を閉じる度に(日本では95%の世帯が朝夕配達される新聞を購読している)それぞれの日本人が自らの意見を状況に応じて持つが、それは決して街角で誰かに向かって講釈を垂れる類いのものではなく、自らの内に秘めたものとして行動の指針とするのだ。そうして、職業や家族構成、危険の度合いや物資の状況に応じてそれぞれが最善と判断した行動が取られた。この時、日本列島全体が日常生活が一日も早く戻るように行動することを決意したのだとしても、そのためにいかなる国家のプロパガンダも必要としなかったのだ。「右にならえ的」な順応主義や国家主義といったレッテルは現実の日本人とは無縁だ。日本人の行動が示したことは、より単純に言えば緻密な状況判断、もしくは良識と呼ばれるものである。

* イヴァン・トゥルッセルは日本の明治学院で講師を勤める社会学者で、日本には1986年より日本在住。

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