「さようなら原発(ただし今すぐに、とは言わないが) 」英エコノミスト9/24記事全訳


異例の礼儀正しさで行われた市民抗議デモ

出典:http://www.economist.com/node/21530147

2011.9.19

1960年以来、集団的な抗議行動がほとんど起きていなかった日本において、9月19日に東京で行われ、予想外に大規模になった反原発集会は洗練されたものだった。6万人もの人々が集まったのは祝日の都内の中心部。デモ行進の際には、交通の妨げにならないよう慎重に設定されたA、B、Cという3つのコースがまるでランチのメニューの様に用意されていた。ミュージシャンたちは演奏で、犬を連れた飼い主たちは飼い犬に着せたベストで、それぞれに反核を訴えた。わずかに脅威の兆候を感じさせたのは、大勢の参加者たちが着用していたフェイス・マスクくらいであった。しかしそれはインフルエンザ予防のためのマスクであり、アラブ諸国で目にするようなマスクとは異質のものである。

福島第一原子力発電所は地震と津波の起きた3月11日以来不安定な状態が続いており、その放射性降下物のせいで福島県民のうち8万6千人の人々は帰宅の見通しがいまだにたっていない。したがって今回のデモが荒れたものになったとしても至極納得のいくことだった。しかしそうならなかったことは、原子力、そして抗議行動全般に対して日本人が取る興味深い姿勢について多くを物語っている[あまり表現できない10/04 19:22訂正]。主催者によれば、やはり日本人は一般的に攻撃的であるよりも穏健であることを好むそうである。

そのためデモ参加者たちが要求するのは原子力の即時中止ではないのだと、このデモを企画した反核組織、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の藤本泰成・事務局長は語った(原水禁では即時中止を支持している)。しかし急な操業停止を行うと電力不足と生活の混乱を招くことになるだろうと、藤本氏は認めている。今回のデモで要求されていたのは原子力の新設中止と、縮小に向けた計画への同意であった。藤本氏による原発廃止のシナリオに従えば、既存の原発の最後の一基を閉鎖出来るのが2049年だそうである。

さらに今回の集会は、原子力の危機的状況が政治的に隠蔽されている(と藤本氏は考えている)ことに対してのものであったとして、反政府的なものではなかったことを藤本氏は強調した。野田佳彦新総理大臣が今週ウォール・ストリート・ジャーナル誌のインタビューに、原子力を利用せずに来年の夏をやり過ごすこと、そして原子力の即時縮小は「絶対に実行不可能だ」と答えているにもかかわらず、藤本氏は野田首相を問題視していない。

日本人の抗議の仕方は、3.11の東日本大震災後に藤本氏がドイツで参加したような、より敵意に満ちた反核集会とは趣の異なるものだという。「日本人は調和を大切にするので、あらゆる意見を踏まえた上で初めて意見を表明する傾向がある」と藤本氏は語る。ケンブリッジ大学の玉本偉助教によれば、抗議集会が盛んに行われていたのは敗戦の年、1945年にアメリカの進駐軍が労働組合と左翼政党を推進した(訳注:ただしGHQは1949年には赤狩りを開始。Wikipedia「連合国軍占領下の日本」を参照)後が最後だったそうである。1960年代に保守派が再び影響力を取り戻して労働組合を抑えこみ、左翼グループが内部対立を始めるとデモは急速に衰退した。それ以来、影響力のある抗議活動を組織できるグループは現れなかったと玉本氏は指摘する。

原水禁そのものも困難に直面している。同組織は主要な労働組合のいくつかより資金援助を受けており、その運営本部は労働組合のビル内に置かれている。しかし、それらの労働組合の多くは原子力推進派なのである。というのも福島の原子力発電所を運営する東京電力は大規模雇用主であり、原子力発電所を建設する日立や東芝といった複合企業もまた同様に大規模雇用主であるためだ。日本人が穏健を信条とするのも不思議ではない。


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「さようなら原発(ただし今すぐに、とは言わないが) 」英エコノミスト9/24記事全訳 への2件のフィードバック

  1. IYOP より:

    第2段落、「しかしそうならなかったことは、原子力、そして抗議行動全般に対して日本人が取る興味深い姿勢をあまり表現できない。」は訳が違います。原文は「That it was not says a lot about Japan’s curious attitude towards nuclear power—and towards protest.」で、本当の意味としては「しかしそうならなかったことは、原子力、そして抗議行動全般に対して日本人が取る興味深い姿勢について雄弁に物語っているのである。」程度でよろしいかと思います。

    • genpatsu より:

      ご指摘ありがとうございます。校正時に表現を変えた際に見落としていたミスでした。該当箇所を訂正し、変更を追記しました。

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